%e4%bd%95%e8%80%85僕の大好きな朝井リョウの小説。そして文庫になるのを待ち望んでいた、直木賞受賞作である。

劇団サークルで脚本を書いていた拓人、バンドのボーカルをやっていた光太郎、留学帰りの瑞月、海外ボランティアを経験した理香、読書ばかりしている隆良。夫々の就職活動が苦戦していくにつれ、隠していたつもりの本音や自意識が、次第にあぶり出され・・・

2010年鮮烈なデビュー作「桐島、部活やめるってよ」、スポ根小説「チア男子!!」、2011年の家族小説「星やどりの声」、きらめくような大学生活と繊細な心を描く「もういちど生まれる」、2012年には、大人になろうとする女子高生たちの物語「少女は卒業しない」、そして「何者」。平成生まれの作家が描く若者は、常に等身大だ。

この「何者」は、就活に四苦八苦する大学生の青春群像物語なのだが、いつもの朝井リョウとは違っている。今まで読んできた朝井リョウなら、若者の苦悩を描いたとしても、軽やかでキラキラとした表現力により、読後には爽やかな印象が残った。しかし今回の作品では、苦みが残る。

いつも同じことを言っているが、それこそ星の数ほどある青春小説は、若者特有の苦悩、葛藤、そして希望を描いてきた。もちろん、そこでは恋やスポーツ、友情などを中心にストーリーが展開していくのが大半だ。最近は、この「何者」のように、就活をテーマに書かれた小説も多い。就活ガイドブックにもなる村上龍「シューカツ」、就職氷河期の実体験をここまで書くのかとリアルに描く、三浦しをん「格闘する者に○」 。就活という、大学生が社会人になるためのイニシエーション(通過儀礼)は、日本のごく普通の風景として定着してきたのだろう。

そういえば、学生運動もとっくに終わった1975年のフォークソング「『いちご白書』をもう一度」で、『僕は無精ヒゲと髪をのばして、学生集会へも時々出かけた。就職が決まって、髪をきってきた時、もう若くないさと、君にいいわけしたね♪』と、バンバンのために弱冠21歳の荒井由実は描いた。『いちご白書』というアメリカの学園闘争の映画は、もう誰も知らない時代になってしまったが、あの時代から社会人になるための通過儀礼は存在していたんだな。

この小説が、これまでの青春小説とチョイと違うのは、TwitterやSNS などネット世代ならではのガジェットを駆使しているところだ。まあ、このような文明の産物は陳腐化が激しいので、十年も経たないうちに忘れられ遺物になってしまうリスクはある。だが、今という時代を表現するためには、今の若者の心象風景をリアルに表現するためには、必須アイテムなのだ。

しかも、そのガジェットの特徴を最大限に活かし、朝井リョウは最後にどんでん返しを用意している。基本は青春小説なのだが、あたかもミステリーのような構造になっているのだ。予備知識を持たずに読み始めたので、これには正直驚いた。詳しく書くわけにはないのだが・・・

ま~それにしても、バンドだの劇団だの、この若者たちは大人から見たら、お気楽な大学生活をしていたとしか思えない。しかし、自意識とプライドの塊である若者たちは、厳しい現実と対峙することで、自らの醜さに向き合うしかなくなる。本音で語っていたはずの仲間とのおしゃべりも、実はタテマエでしかないことに気がつかされてしまう。とうとう読者まで巻き込んで、人のダークサイド(暗黒面)が暴露されていく、怖い小説なのだ。

今時の若者たちは、Twitter だのSNSだので、四六時中仲間同士でコミュニケーションしている。誰かと繋がっていないと不安になるのだろうか。情報を集め、公開し、お互いに交換することで、自分の存在価値を確認し合っている。

だが、自分が何者かさえ判らない時、他人に選別され、不要だと烙印を押され、自らの存在価値を否定されてしまうと、プライドは瓦解し、最も濃いコミュニケーション相手すら、信じられなくなってしまうのだろうか、人は・・・