第144回芥川賞受賞の話題作である。珍しく、というか初めて芥川賞発表号の文藝春秋を買ってしまった。受賞作二作が載っているので、お買い得感があったのは確かだが、最近話題の小説でも読んでみようかな、というミーハー精神が主な理由なのだ。

貴子(きこ)、永遠子(とわこ)、二人の女性の物語。少女時代、夏の別荘で一緒に遊んだ日々から25年後、別荘の解体に立ち会い、幼い時の記憶が立ち上がる。
ま~この小説の粗筋を、語ってみてもあまり意味はない。なにせ、物語性はほとんどなく、夢とも現実とも判別できないエピソードが、途切れなく連なっているからだ。
アチコチの書評で、いろいろと言われていることだが、「時間」がキーであることは間違いない。普段、記憶の中に折り畳まれている過去の出来事は、ふとした拍子に時間軸に無関係に表出してくる。そんな感覚を文学作品で表現したかのようだ。

このエピソードが、「今」なのか、「過去の記憶」なのかが、曖昧なのだ。そんな過去の話から地続きに今の話に移ってくる。そんな不思議な感性を評価すべき作品であり、物語として面白いとか、退屈とか言い出す小説ではないのだろう。新人作家の素質を見いだすための芥川賞なので、小説として、文学作品として、その完成度を評価したのではないと思うのだ。というか思いたい。

我が輩も、二十年以上前までは、この日本で最も有名な文学賞の作品を、ありがたがっていたのだが、そのうち選者たちの評価基準がどうしても理解できず、読むのを止めてしまった。文学、文芸作品、純文学、言い方はいろいろあるが、芸術性が高いと言われる小説は、大半が退屈極まりないものだった。

物語性を否定するような私小説、比喩暗喩を多用した意味不明な幻想小説。どこが面白いのか、昔は理解できなかったので、我が輩は芥川賞作品からは遠ざかっていたのだ。もっとも庄司薫や村上龍の発見は良かったのだが。

今回の朝吹真理子の作品は、いかにも芥川賞好みの純文学的香りのする、格調高くかつ不思議な感性の作品だ。時代が異なる各エピソードが、溶け合うよう連なる話術は、確かに新鮮だった。だが、肝心のエピソード自体が平凡な生活上の話ばかりなので、感動に乏しいのだ。退屈極まりない、というほどでもないが、個々のエピソードの印象が弱いので、読み続けるのには忍耐も必要だった。短編なのですぐに読めるはずだったのだが・・・。

この一作品だけでは、まだ評価もできないが、新鮮な感性を持った作家が登場したことだけは確かだ。次作に期待したい。