第144回芥川賞受賞の作品である。朝吹真理子の「きことわ」と、同時に受賞した短編である。ちなみに今月号の文藝春秋は、普段の2倍の80万冊を出版したそーな。あな恐るべし芥川賞ですな。

中卒で日雇いの港湾労働者となった貫太は、金が無くなると湾岸の冷凍倉庫で働いていた。怠惰、偏屈、短気で友人もなく、ボロアパートで孤独に、一杯の酒を飲むことだけが楽しみだった。そんな貫太にも、やがて友人ができたのだが・・・。

う~ん、汗と泥と体臭がプンプンと臭う、今時珍しい泥臭い小説だ。洗練さとは、対極にあるような暗いお話なのだ。労働者の悲惨な境遇を描き、資本主義社会を告発した、かつてのプロレタリア文学を彷彿させたが、まったくそんな展開にもならない。社会の底辺で、ひたすらもがくことしかできない不器用な若者の、リアルな自意識だけを描いているのだ。

「私小説」と銘打っているようだが、ま~本当のことはわからない。個々のエピソードは本人の体験だとしても、計算しつくした構成のようにも感じる。ワンセンテンスが長く、難しい漢字を多用しているので、それがまた古くささを臭わせているのかもしれない。  Webでの感想をながめると、魂を揺さぶられるとかユーモアを感じるとか、思ったより評判がよろしいようだ。しかし我が輩としては、あまり好みではないな。技巧的だが退屈な「きことわ」よりは面白いが、主人公に共感することができないのだ。

このお話の時代は、まだバブルが沸き立つ前であり、真面目に働けばいくらでもまっとうな暮らしができた、最後の世代でもあったはずだ。バブル後は、小泉改革による実力主義だのなんたら改革などで、フリーターに追い込まれた若者世代は、確かに搾取された。だから、2000年代以降の若者世代が、「自己責任」というレッテルを貼られて、社会の底辺から這い上がれないことを告発するお話なら理解できる。しかしこの貫太は、人間として最低限の生活から、抜け出そうとする気力もなく、怠惰で短絡的なのだ。

どうもな~、登場人物に多少なりとも共感できないと、ストーリーとか表現力とか仕掛けでもないと、我が輩は興味がわかないのだ。せいぜい日雇い港湾労働者の、毒々しい貧乏生活に対する、覗き見的好奇心をくすぐる程度か。

今回の芥川賞を受賞した、まったく傾向の異なる二作品を読み、純文学系小説とやらが、なにを目論んでいるのかが、かえって分からなくなった。文章とか文体とか、基礎的なところは、もちろんレベルは非常に高い。当たり前か・・・。小説としての構造とか構成も、よくわからんが上手いし技巧的だと感じた。だけど、そんなところを評価して選んだのだろうか。

作者は、作品を書く動機があり、テーマがあったはずだ。娯楽小説ならそんなもん無くとも面白きゃ良いのだが、文芸作品なら何らかのテーマがあったと思うのだが。我が輩の勘違いかな~。でないと単なる退屈な小説でしかないのだがね。それともテーマなりメッセージを読みとれない我が輩の頭が悪いのだろうかな。しょせん読者の好みの問題でしかないのだとしたら、芥川賞の意味はなんだろう。新人の発掘だけか。そんな??を感じた作品なのであった。