なかなかセンスの良い小説だった。吉川英治文学新人賞を受賞した連作短編集である。

小学校時代のクラス会に集まったアラフォー世代。その三次会、札幌のススキ野にあるスナックで、男女5人が遅れてくる田村を待っていた。大雪でなかなか来ない田村を待ちながら、深夜になっても思い出を語りながら待ち続けるのだった・・・。

そこに居ない誰かを巡り、他の人の語りでその人を想像する話と言えば、恩田陸の傑作「黒と茶の幻想」がある。
この作品はミステリーなので、「田村はまだか」とは毛色がまったく異なる作品なのだが、複数の人の話から、次第にその人の輪郭が浮かび上がってくる構図は同じだ。しかし、この「田村はまだか」の面白さは、「田村」を全く知らないスナックのマスターに、視点を置いたことだ。

酔っぱらい達が語る「田村」。その様々なエピソードから、どんな人間か俄然興味が湧いてきたマスター。しかし、いくら待っても田村は来ないのだ。ここまでが最初の短編。これだけでも充分良くできたお話だったので、これでおしまいかと思ったほどだ。
次からは、スナックに集う男女個々のお話となる。その一つ一つの語り口に、読者を飽きさせない工夫を凝らしているのが上手い。最初は各人の名前を明かさず、マスターが見た目で付けたあだ名から始まり、連作が進むにつれ、次第に全員の名前が分かってくる、とかだ。

ある意味アイデア賞ものの展開なのだが、四十歳になった男や女が、人生を振り返り、反省し、これからを想う。それぞれのエピソードは、よくありそうで平凡な日常生活のことばかりなのだが、なんだろう、やはり「語り口」が上手いのか、印象が深いのだ。自分のエピソードを他人に語る形式なので、相手の反応や感想が入り、しかもマスターが「警句」のように、エピソードの印象をノートにまとめてしまうのだ。

男と女の、結婚、離婚、浮気、不倫などなど、小説の中では手垢の付いた話を、書き方、語り方だけで、これだけ読ませてしまう力量はたいしたもんだ。
まだ四十歳なのか、もう四十歳なのかは、気の持ちよう次第だが、人生の機微を身に染みて感じている人なら、この小説の面白さが分かるのではないのだろうか。中高年向けの素敵な短編集なのであった。お薦めです。