世界的著名人になってしまった村上春樹の最新長編を、とうとう読んでしまったのだ。わざわざ単行本で買うほどのものではないと思っていたのだが、タマタマBookOffで500円だったので衝動買いしたのだ。
高校生の時、とても親密な関係にあった男女五人組。大学生になり、突然一人だけ仲間から放り出された多崎つくるは、その原因も分からず心に深い傷を負う。三十も半ばを過ぎ、恋人から促され、やっと多崎つくるは、仲間外れにされた理由を探しに行くことにした。
ま~しかし、村上春樹の新作を読むのに言い訳をする必要もないのだが、「1Q84」の騒動以来、なんだか最近の村上春樹の読者イメージは、ミーハーっぽくてよくないのだ。普段あまり小説を読まない連中まで読むもんで、「わけわからん」とか「ポルノ小説か」とか言う批判、もしくは、「さすが世界的作家の傑作だ」とかの大絶賛、と両極端なのだ。なんだかね。「永遠のノーベル賞候補作家」なもんで、どうもまともに読まれていないな~。
で、僕の感想。なんだか、初期の村上作品に近い気がした。ミステリー感覚と深い内省、不可思議な物語に中途半端な終わりかた。これじゃあ読者によって様々な読み方ができるので、賛否が分かれるだろうな。
以前に何度も書いたが、小説をどう読めばよいかなどというノウハウはない。正しい感想とか、作者の言いたいことなども、正解なんぞあるわけもない。作者は言いたいことがあって、小説を書くのではないからだ。明確に言いたいことがあったら論文を書けば良いのだ。あるのは、その小説を読者がどう読んだか、だけだ。読者の感想とは、ある意味小説を鏡にした自画像のようなもの。特に村上春樹のようなメタファーを多用する小説だと、様々な解釈ができるため、読者によって顕著に個人差がでる。日本固有の風俗を、村上春樹は小説の中によく取り入れるが、それでも世界中に熱心なハルキストがいるのは、多義的なメタファーを世界中の文化が、独自に解釈してしまうからなのではないのだろうか。
それにしても、この小説では名前に重要な意味を持たせている。赤松、青海、白根、黒埜と灰田。全部の名前のなかに「色」が入っている。しかし主人公だけは、「多崎」と色がない。村上春樹の小説には世界中で翻訳されるはずだが、いったい外国語ではどうやってこの名前を表現するつもりなのだろうか。最近、やっとアメリカでこの小説が出版されたが、いきなり全米の売り上げトップになっていた。英語でこの名前を、どう表現したのか興味があるな。
村上春樹は、小説を書き始める際には、プロットも登場人物も決めてないという。深い深い精神世界の井戸に降り、そこから湧き上がるイメージを書き留めるだけ、と述べている。まあ、本当かどうかは分からないのだが、作者としての感覚はそうなんだろう。世界中の人間たちの、最も深い精神世界は繋がっている、という話がある。村上春樹は、そんな深いところからイメージを汲み上げることができたから、世界中で読まれたのかもしれないな。