またまた内田教授の著書である。「日本辺境論」以来、立て続けに読んでしまっている。今度はアメリカを遡上にあげているのだが、これまたメッポウ面白い。今まで読んだことのないアメリカへの論考なのだ。

アメリカを、経済大国として、軍事大国として、ハイテク先進地域として、様々な切り口からルポや論文が、巷には溢れかえっている。現地に長く住んでいるジャーナリストはもちろん、企業経営者や女子大生までもが新書を出版し、ベストセラーも出ている。しかしこの内田教授は、アメリカの専門家ではなく、在米でもなく、自分でもアメリカに関してはシロートだと公言している、にもかかわらず、あら不思議、従来になかった視点でアメリカが透けて見えてくるのだ。

大ざっぱには、次のようなテーマでアメリカを料理している。
・歴史的観点から見た日米関係。この切り口はごく常識的なのだが、ミソは日本の歴史からではなく、アメリカやヨーロッパの歴史から見た点。つまり、なぜアメリカのペリー提督は、遠路はるばる日本まで来たのに、その後しばらく影を潜めたか。明治維新にイギリスとフランスがどのようの関わり、影響を与えたのかなど。

・ファーストフードと貧富の関係。社会階層化が進みつつあるアメリカでは、貧困層は太ることしかできず、それが「階級的異議申し立て」をしているのだ、という皮肉な解釈。

・アメリカン・コミックは、マンガと比較してなぜ面白くなく、進化しないのか。出版社が著作権を抱え込み、作家を取り替え可能なパーツとして扱っているからだ、指摘する。

・アメリカの統治システムは、例え大統領がアホでも最悪の事態は避けられるという話。
・アメリカ人は総じて子供嫌いであり、映画や小説に登場する子供の描写を例に、検証する。非常に興味深い話。
・アメリカには、歴史的にシリアルキラーが続出し、その精神分析をしてみせる。

・アメリカは、言わずとしれた訴訟社会。国力のかなりの部分を、不要不急の訴訟に費やしているという話。日本で始まった陪審員制度は、アメリカに追随して訴訟社会になろうとしているのかと、苦言を呈している。

最も面白かったのが、ジェンダー論。日本ではほとんど死語となってしまったウーマンリブだが、かのアメリカでは、自分が女性と思ってさえいれば女性として扱うべきだ、とのこと。つまり、性差意識とは社会構築的なものであり、生物学的意味ではないという。
ついこの間読んだばかりの、角田光代のサスペンス「八日目の蝉」では、母性本能が全てにおいて優先する女性を描いていたが、アメリカではナンセンスでしかないんだろうな~。
何はともあれ内田教授は、すべてを性差意識で括ろうとするジェンダー論者に対しては、「理念先行」の危うさを説く。

思想家であると同時に武道家でもある内田教授は、極端な心身二元論はあまりに単純すぎるとし、体は頭を乗せるための道具ではないと叱るのだ。
この本は、アメリカ論となっているが、実はアメリカを鏡とした日本論にもなっている。2005年に出版しているのだが、今になっても古びない、実に画期的な論考なのだ。