小説の持つ「面白さ」とは何だろう?
久しぶり読む村上春樹の短編だった。。村上春樹の小説なら、ほぼ読んだつもりだったのだが、どうも抜けがあったようだ。先日、インタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」 を読んでいて気がつき、今ごろになって読んだ次第である。

阪神淡路大震災の後、1999年に文芸誌「新潮」に「地震のあとで」として連載された短編集である。東日本大震災後の今、あらためて読む価値があるかもしれない。
「UFOが釧路に降りる」、「アイロンのある風景」、「神の子どもたちはみな踊る」、「タイランド」、「かえるくん、東京を救う」、「蜂蜜パイ」の6編である。

1995年1月、一瞬のうちに街を壊滅させた大地震を背景に、流木が燃える冬の海岸で、真冬の釧路で、かえるくんが地底で巨大みみずと死闘を演じる東京で、内なる廃墟を抱えた人々は、静かに、だが着実に闘っていた・・・。

日常の中の不思議でどこか異界のように感じる出来事を描いている、いつもの春樹ワールドである。しかし大震災が常に物語の背景にいる。震災を直接描いているわけではなく、会話に登場したり、登場人物の過去の経験にあったりしている程度だ。しかし、常に震災の影がちらつき、死の匂いを感じさせる物語ばかりだ。

世界的にも評価を得ている短編集と聞くが、どこがそんなに評価されているのだろうか。相変わらずよく分からない物語が多い。最近、お手軽な小説ばかり読んでいる私には、なかなか評価し辛いお話ばかりなのだ。

「かえるくん、東京を救う」のような寓話が多く、比喩や暗示、暗喩を読者は読み取らなければならない。「1Q84」の感想にも書いたのだが、春樹ワールドは読者の持つ感性次第で、どうにでも読めてしまうお話ばかりなのだ。無用とも思えるSEX描写が多いのも春樹ワールドの特徴だが、ここでは「死」を際立たせるための策略なのだろうか・・・。

未曾有の大災害はダイレクトに描かないほうが、「死」を深く表現できるのかもしれない。村上春樹の筆力は、世界中の読者が持つであろう想像力の羽を、羽ばたかせるだけの力があるのだろう。日本のごくローカルな風景や風俗を描いても、都会に住むさえないサラリーマンを描いても、春樹の手にかかると「孤独と死」を世界中の人間が感じてしまうのだから。