久しぶりの村上春樹短編集。九年程前の「東京奇譚集」以来だ。近年は、長編ばかり書いているが、昔はというか、初期の頃は短編集が多かったと思う。この短編集は、まだ文庫化する前なのだが、ブックオフでなんと360円だったので、思わず買ってしまったのだった。

「ドライブ・マイ・カー」妻を亡くした舞台俳優は、お抱え運転手として寡黙な女性を雇うが、隠れて不倫していた妻の話を、いつのまにかしていた。
「イエスタデイ」大学時代、バイト先の友人は、田園調布出身なのに大阪弁を話し、自分の彼女と付き合ってくれないかと頼む、奇妙な男だった。
「独立器官」何不自由ない独身生活と女遊びをしていた美容整形外科医は、初めて真剣に人妻に恋をし、身を焦がしてしまう。
「シェラザード」独身男の家に定期的に訪れ、家事をしてくれる女性は、情事の後にする寝物語がとても上手かった。
「木野」妻の浮気現場を目撃して離婚した男は、会社を辞めて静かな住宅街にバーをひらく。次第に常連客がつきだすが、奇妙で不穏な出来事が始まる。
「女のいない男たち」深夜に突然、かつての恋人が自殺したと、その夫から連絡が入り、その女性との思い出を回想する。

冒頭に珍しく前書きがあるのだが、そこで面白い事を書いていた。村上春樹は出版社から依頼されて小説を書くのではなく、ある程度書き上げてから、出版社に持ち込むのだそうだ。まあ、村上春樹はあまり日本にいないので、出版社としても営業しづらいのだろうし、大御所なので編集者も近寄りがたいのかな~

で、この短編集なのだが、読む前はタイトルから春樹には珍しく女に無縁の話をするのだと思っていた。ところが女を巡る話ばかり。『女を失った男』がテーマなのだ。しかも、すべての話で『女の浮気』があり、その事実を突きつけられた男の悲喜劇を、春樹流に料理しているのだ。

最初の二編、「ドライブ・マイ・カー」、「イエスタデイ」は、味はあるがごく普通の短編に読める。いつもの暗喩や奇妙な展開もなく、春樹の名前がなかったら、あまり印象深くはない。しかし「独立器官」では、出だしは自然だが、意外で風変りな展開となる。「シェラザード」になると、話の設定そのものが謎となるのだが、そこには触れられずに昔話が語られていく。そして「木野」は、完全に春樹ワールドとなり、読者は不可思議な闇の世界に連れていかれる。最後の「女のいない男たち」にもなると、ストーリーらしいストーリーはなくなり、比喩、暗喩ばかりとなって、読者を迷宮に誘い込むのだ。

初めは、各々独立した短編を集めた短編集だと思っていた。なので、あまり春樹らしからぬ短編集だと、読み始めはそう感じていたのだが、最後まで読んでみると、だいぶ印象が変わる。やはり春樹らしい世界観溢れる短編集だったのだ。それにしても、性描写がやたら多い。しかも女がやたら積極的で、男は受け身だ。これは何なんだろうと、深読みしたくなる。

村上春樹は、時代の動き、世界の潮流を、その鋭い感性ですくい取り、小説の形式で提示してきた作家だ。不可思議な世界を構築し、比喩と暗喩で多義的な物語を紡ぎ出してきた作家だ。世界の読者たちは、その多義性がゆえに、世界中の様々な文化的背景を元に、己独自の解釈をしてきた。このため同じ話なのに、その解釈は読者の数だけある。

この村上春樹の短編集は、読者によってかなり受け止め方が異なってくるはずだ。各々の話は、独立してバラエティに富んでおり、風変りなストーリーを好む人には楽しめるはずだ。平易な文章と乾いた感性は相変わらずの、春樹ワールドだったのだ。