「ノルウェイの森」をおよそ20年ぶりに再読してみました。当時は社会現象にまでなった、言わずと知れた大ベストセラーです。 「ノルウェイの森」を出版するまではけっしてメジャーではなかった村上春樹でしたが、とりあえず私はそこまでの全作品を読んでおり、新作にはすぐに飛びつく程度の熱心な読者でした。なので、あまりにもこの本が売れすぎたことで、かえって春樹ファンだとは人に言えなくなったものです。また、それまでの透明感のある幻想的なストーリーが好きだったのに、あまりにも通俗的な恋愛小説を書いたので、それこそ流行作家に成り下がったのかとハラがたったものでした。
しかし今読み直してみると、こんな話だったのかと思うほど忘れているのですが、あの強烈な70年アンポを時代背景としている割にはこの小説は当時の風俗には意外と依存しておらず、時代を超えたけっこう普遍的な喪失と再生の物語であることに気がつきました。発表等当時の1987年は、かつて熱病のようだったアンポトーソーも、残滓さえすでに消え去った後でした。しかし私のような遅れてきた世代にも、まだ時代の記憶として残照のようにかすかに残っていました。このためロックアウトだのタテカンなどの言葉は抵抗無く読めるのですが、登場人物達のセックスに対しての節操が無い行動には、当時かなり違和感を感じたものです。
それにしてもこの作品の登場人物達は、どうしてこれほどまでに『自殺』するのでしょうか。まあ「ノルウェイの森」だけでなく村上春樹の作品全般にも言えることなのですが、常に『死の影』が付きまとっています。もちろん物語りに最も強烈なインパクトを与えるのは『死』です。その『死』に対しての理由付けとして、『自殺』を持ち出すとしたらあまりにも安易です。が、まあそれほど単純な作品ではありませんが、あまりにもこの主人公の周りには『死』が満ち溢れ過ぎています。『キズキ』『直子』『ハツミさん』そして『緑のお父さん』。『キズキ』の自殺の理由は曖昧で理解できないのですが、『直子』が原因でないとしたら、なぜそこまで『直子』が精神的に追い詰められたのかが余計分からなくなります。もっとも『直子』が直接の原因として描かれていたら、露骨過ぎて作品に深みがなくなるのかもしれませんが・・・
身近な人の死により喪失感を抱え込み、精神的なダメージを受けるが、やがて何らかのきっかけから再生していくのが青春小説の王道です。「ノルウェイの森」は、この王道に乗っ取りしかも切ないラブストーリーで味付け、美しい赤と緑の装丁のカバーで包み、上梓したのですから女性に大いに受けたのでしょう。春樹ファンにとっては、相変わらずの透明感のある静謐な文章ではあっても、幻想的なシーンが登場しない作品なので食い足らない気もしますが、世に村上春樹を知らしめた記念碑的な作品としてお勧めしたいと思います。