僕がまだ未来を信じていた頃、SFは科学と哲学の幸せなる結婚だった。小松左京が切り拓いたSFの地平線は、はるか彼方にあり、まだまだ前途洋々のはずだった。ところが、そんな小松左京もすでに亡くなり、科学の力をナイーブに信じられなくなったのが現代なのだ。

熱狂の80年代が過ぎ、小松が新作を出さなくなった90年代、「パラサイト・イヴ」でデビューし、「BRAIN VALLEY」で日本SF大賞を受賞したのが、この「瀬名秀明だ。ロボットに対する深い考察を示した「デカルトの密室」と「第九の日」は、近年のSFの傑作だと僕は信じている。「希望」は、その瀬名の初の短編集である。

「魔法」テクノロジーによる手品の変容を描いた、ロマンチックなラブストーリーの傑作。この短編を読むだけでも、この短編集を買う価値がある。
「静かな恋の物語」科学者同士の、美しくも切ない理系的恋愛小説。
「ロボ」シートン動物記の「狼王ロボ」をモチーフに、ロボットの擬人化を動物の擬人化に重ね合わせた、意欲的で考えさせられるお話。
「希望」重力とコミュニケーションの関係性を新しい視点でとらえ直し、ヒッグス粒子、線形加速器、デカルト、グレアム・グリーンなど多方面の知を総動員する挑戦的な小説。素粒子科学者の、数学的シンプルさ希求する思考や美学に、疑念を抱く問題作でもある。この短編集の白眉である。ほか全7編

この短編集の最初の2作を読み、瀬名がこれほどまでに美しい短編を書けるのだと驚いた。しかし、当たり外れがあるのが残念。少なくとも僕には、ほとんど理解できない幻想的で不可思議なお話が混ざっている。

しかし「ロボ」で語られる作家シートンの話は意外だった。僕が子どもの頃、夢中になって読んだ「シートン動物記」の作者は、発表当時の米国で動物を擬人化することを批判され、一度は作家生命を絶たれてしまったそうだ。そういえば、「風の中のマリア」で百田尚樹は、昆虫たちを擬人化してたが、これはやりすぎだというのが僕の印象だったな。ま、あまり関係ないけど。

薬学博士であり工学部教授である瀬名秀明。彼が書く小説の主人公は、大半が科学者だ。そんな純粋理系作家が描く未来は、どこかセピア色をしている。小松左京が夢を魅せてくれた輝かしい未来と異なり、瀬名の近未来はテクノロジーの歪な発達と、テロが横行する不穏な社会が前提となっているのだ。なんか最近読んだSF小説では、概してそんな暗い社会を背景にしていたな。

とにかく、この「希望」は、トータルとしては非常に印象的な作品が多く、文学と科学と哲学を融合させた挑戦的な小説なのであった。