浅羽通明「右翼と左翼」★★★★ 幻冬舎新書 253

漠然としか理解していなかった右翼と左翼。四十歳以上の世代にとって、ごく一般的な言葉の割には、意外と曖昧なまま便利な言葉として使っていたのは事実。子供達に右翼・左翼って何?と素朴に聞かれたとき、即答できなかった自分に愕然としてしまったことがあった。なので、『右翼と左翼』のように直接的表現をした新書を見つけたので、思わず飛びついてしまったのである。
この新書は、右翼や左翼の言葉の由来から説き起こし、フランス革命の歴史と19世紀の思想史、戦前と戦後の日本の「右」と「左」の歴史、現代日本の「右」と「左」の状況まで分かりやすく解説する。政治学や思想史のシロートにも、右翼左翼の考え方の違いや尺度が良く分かる入門書なのである。専門家達にとっては当たり前の知識なのかもしれないが、戦後の日本社会に大きな影響を与えてきた右翼や左翼の思想が、今まで平易な解説書として流布していなかったこと自体がおかしなことだったのだ。
それにしても、出だしは辞書的解説から初め、思想史の教科書的歴史知識を平易に解説してお終いかと思いきや、意外にも戦後の左翼や右翼の日和見的迎合路線を鋭く指摘し、単なる入門書にしなかったことには感心した。また、「自由」「平等」を理念として掲げた左翼が、ソ連の瓦解や中国の変節に伴って説得力を失うことで、反左翼としての位置づけでしかなかった右翼までもがその存在価値を失ってきている、という話は面白い。近年の右傾化も、「平和主義」を信奉する左翼が、理念や理想を持たない現実主義者ばかりの国民から次第に見放されたことが原因で、『憲法九条を世界遺産に』のような逆説的自虐的反論しかできないことも理由だと言い切る。確かに近年マルクス主義を超える理念やユートピアを、左翼も右翼も提供できなくなったことは確かである。少なくとも私は知らない。
著者は、「革新的」「進歩的」であったはずの左翼の理念も、着実に現実的政策として取り入れられてきたことで、次第に薄れてきていると言う。イデオロギーという歴史の進歩を測る尺度を失った現代社会では、小泉政権の「改革路線」がいったい「進歩的」なのか「保守反動」なのか、誰も判断できない状況なのだ。「権威」と「秩序」を打ち立てた「帝国」を、「自由」と「平等」を掲げて覆したのが「左翼」であった。しかしある意味、この「自由」と「平等」を獲得してしまった時期からイデオロギーは輝きを失い、「右-左」という図式が使えなくなってきた。なので、近年「宗教原理主義」と「民族主義」という価値観が世界を覆ってきているのだ、という著者の指摘は慧眼である。確かにこのように理解すれば、国家間の戦争は文明間の紛争に移行するというハンチントンの『文明の衝突』も納得がいく。
それにしても「右翼と左翼」というテーマを、単なるトリビア的知識だけに終わらせず、ここまで壮大な思想史として広げて語ってくれたことは嬉しい誤算だった。ここで語られた内容が、この分野ではごく常識的なのか異端的なのか専門家ではないので判断はできないが、非常に魅力ある思想史なのである。高校で問題となっている世界史も、このようなテーマを持って教えることで、つまらない暗記科目から興味深い科目に変身できるはずである。