社会学における名著というかユニークな「オタク論」であった『動物化するポストモダン』の著者が、5年ぶりに出した続編である。前作は、まだオタクがそれほど市民権を得ていなかった時代に、社会学者がおそらく初めてオタクを切り口に日本社会を分析して見せ、かなり反響を呼んだ新書であった。我輩も日経ビジネスの書評で取り上げていたので目に留まり、非常に感銘した一人なのである。
ということなので、その続編が出版されたのでさっそく読んでみた。これがまたまた知的に面白い。コミック、アニメ、ゲーム、それにライトノベル。これらサブカルチャー的作品を部外者として眺めるのではなく、すべてマニアとして読み込み批評するのでなかなかの説得力がある。しかもそれぞれのジャンルの歴史を踏まえたうえで、ジャンルを超えた俯瞰的な分析を試み、オタク的日本文化の変節と行方を指摘して見せているのだ。
ライトノベル。これはいわゆる児童文学やヤングアダルト向けの小説ではなく、アニメ風イラストの表紙がついた中高生向け小説なのだ。東によると、ライトノベルは従来の小説とは概念が違い、キャラクターが物語りから自立している「キャラクター小説」なのだそうだ。これは気がつかなかったのだが、この「キャラクター小説」という言葉は、大塚英志が命名した最近の造語だそうだ。しかしだ、キャラが物語から抜け出し、勝手に別の物語を紡ぎだして行くことは、それこそアルセーヌ・ルパンの時代からあり、実際に『ルパン対ホームズ』なども作られている。こうなると、いわゆる探偵小説などはすべてキャラクター小説のような気もするので、日本オリジナル文化というのは言いすぎだろう。
美少女アニメをマジメに論じた、四方田犬彦の「かわいい」論は以前読んだことがあるが、美少女ゲームをマジメに取り上げて論じた学者もかなり珍しい。というか、オタク趣味の若者がそのまま学者になったというべきなのだろう。つまり日本が誇るオタク文化が、それなりの歴史を積み重ねてきたことの証左なのだ。
東はこの著作で重要な指摘をしている。メディアを、本、ラジオ、テレビ、CDなどの「コンテンツ志向メディア」と、ゲーム、インターネットなどの「コミュニケーション志向メディア」に分類し、ITの進化により、「コンテンツ志向メディア」は次第に解体され、ひとつのパッケージ化された物語を受容するのではなく、ひとつのプラットフォーム上で多くのコミュニケーションを繰り返すことで多数の物語を動的に消費する社会になる、という。その典型として「2チャンネル」から出た「電車男」を挙げている。
この「電車男」についても面白い解釈をしている。つまり電車男とこのスレッドに書き込んだ匿名の人々は、現実の女性を口説いていたのではなく、あくまで美少女ゲームをみんなで仮想的に楽しんでいただけだ、というのだ。確かに電車男の書き込む内容は真実かどうかは不明であり、もしかするとこのRPGの主催者だったのかもしれないのである。ま~この解釈の方が理解はし易い。
この本は、あとがきにも書いてあるように、このようなポストモダン論であり、オタク論であり、かつ文学論である。旺盛な知識欲に駆られ、サブカルチャーの分野に深く潜り込まなければ、このような思考はできない。現代の日本社会、文化を把握するためのお薦めの本なのである。