1984年に出版され日本SF大賞を受賞した作品が復刊したのだ。久しぶりにSFの古典を読んでみるのも一興かと、手にとってみたのだが、思った以上にこれがなかなか面白かったのだ。
SFというジャンルはどうしても未来に目を向けるので、書かれた当時は最新の技術情報を持ってたとしても、四半世紀も過ぎるとかなりつらいものがある。1980年代といえば、インターネットどころか家庭にはPCなどはなく、せいぜいマイコンが登場したばかりだった。それからわずか十数年で一家に一台コンピューターが入り込み、世界中とオンラインで結ばれるなどだれも夢想すらしていなかった。
70年から80年の間は日本SFの黄金期だったと思う。アポロの月面着陸、大阪万博、など未来はいつもバラ色だった。人類はすぐにでも宇宙に進出していくと信じていた。AIが進化し、コンピューターはすぐにでも会話をしてくれると信じていた。それが変調をきたしてきたのはいつからだったのか。アメリカが宇宙から手を引き、次第に内向きになり、科学技術の進歩が公害をもたらし、やがて未来はバラ色からカオスになっていった。
そのころSF黄金期の旗手である小松左京がいつのまにか主役を降り、科学の未来を信奉していたはずのSFまでが内向的になっていった。我輩も小粒になったSFから離れ、興隆してきたミステリーにはまっていったのだ。と・・、前置きばかり長くなってしまった。
この「幻詩狩り」は、SFといってもサイエンス部分はまったくなく、シュールリアリズムの歴史をなぞりながら、魅惑的な幻想の世界を紡ぎ出している。戦後シュールリアリズムの詩人が、一度読むと人を魔界に導く「詩」を創ってしまう。やがてその「詩」が日本で翻訳されたため、多数の人々が死に至り、取り締まりの対象となる禁制の「詩」となってしまう。そんな「幻詩」の出自と歴史のお話なのである。言葉自体の持つ「魔力」を、これほどまでに魅惑的に描いたお話は初めてだった。冒頭と終盤に、今となっては古めかしいスペースオペラ風の挿話があるので、SFに分類されているのだろうが、我輩的には不要なのだ。それにしても今でも非常に魅力ある幻想文学なのである。