いやはや、久しぶりにテツガクした衝撃の思弁的SFなのだ。ここには人工知能、ロボティクス、哲学、倫理学など膨大な『知の体系』が登場してくる。人間と機械の境界を探るテーマは、SFでは古典的なのだが、あまりに深すぎるテーマのため、広大な情報の海に投げ出されることになってしまう。しかし瀬名秀明は溺れもせずに、ミステリアスな話術で最新の情報科学の知見を披露してくれているのだ。
ロボットが実用化されつつある社会。ロボット学者の裕輔と進化心理学者の玲奈は、ロボットのケンイチと暮らしながらケンイチの精神をも成長させようとしていた。ところが3人が参加した人工知能のコンテストで、裕輔が誘拐されケンイチが殺人犯にされてしまう。しかも殺された天才AI学者フランシーヌの殺害映像がインターネットに出回ると、映像情報そのものが成長を始め、その背後にある巨大なロボット企業の意思が次第に出現してきたのだった。
瀬名秀明はかつて、SFホラーの『パラサイト・イブ』でデビューし、脳の進化SFの傑作『BRAIN VALLEY』で世間を驚かせ、ロボットとの共生をテーマにした『ハル』を書いている。他に『八月の博物館』という博物館をテーマにした、風変わりな(自己満足気味の)メタ小説もある。この『デカルトの密室』は、『ハル』に続く系統の、知能をテーマにした傑作サイエンス・フィクションなのだ。
知能、知性を掘り下げようとすると、どうしても哲学の領域に踏み込まざるおえない。ここではデカルトの『方法序説』を何度も引用し、『チューリング・テスト』『中国語の部屋』といった有名な思考実験を試すことで、人間とAIの違いを探っているのだ。
大学の教養課程で読んで以来、ウン十年かぶりでデカルトの文章を読んだが、「我思う、ゆえに我有り」という考察は、確かにAIの分野では避けては通れない考え方なのであろう。それにしてもAI研究において「フレーム問題」という考え方があることを知っただけでも、この本を読んだ価値がある。フレーム問題とは、この実存世界をどうやってコンピューターに記述するかという問題なのだ。例えばカップでコーヒーを飲むという行為を、一般化してプログラミングするためには、カップがコップや湯のみになったり、コーヒーが水やお茶になる場合なども含めて、いわゆる『常識』というやっかいなものまで記述しなければならない。だから実際には一般的な行為を記述しようとすると、とたんに扱わなければならない情報量が爆発してしまうことになる。これは人間にも当てはまるという学説もあり、これが災害時などのパニックに相当するという。
ま~それにしても、この小説自体に莫大な情報量が詰め込まれており、しかもそれぞれがストーリーに密接にからむため、かなり読者を選んでしまいそうである。Web上の書評では意外なことに評判は良くない。理解できないとかペダンティズム(衒学)だとか言われているようである。恐らくAI分野やコンピューター科学、哲学に興味の無い読者にはなかなかつらいのだろう。しかしだ、やはりこの小説は何と言ってもAIについて最先端をいく最高傑作だと我輩は思う。密室トリックでは明らかに京極夏彦、主役のキャラ設定では森博嗣をパクッテいるようにも見えるが、だからこそ両作家のマニアにも、絶対のお勧めと言えるのだ。