そう、これは「心とは何か?」というテーマを追求した、ミステリィとSFと哲学の、幸福なる融合なのだ。瀬名は、ロボットとの共生をテーマにした『ハル』を書いているが、その後『デカルトの密室』という、やはり「肉体と精神」をテーマの傑作長編を書いている。この『第九の日』は、その前後に書かれた、連作作品群なのである。
『メンツェルのチェスプレイヤー』:世界最初の推理小説と名高いポーの『モルグ街の殺人』。このオマージュ的ミステリィ短編である。シリーズの主人公である、ケンイチくんが初めて登場した記念すべき作品でもある。密室殺人が起きた現場で、チェスロボットとの息詰まるチェス対決をしながら、事件はどのように解決されるのか。ロボットの身体性の確保と、自意識との関係を考察した、ミステリィ仕立ての作品なのだ。
『モノー博士の島』:HGウェルズのSF『モロー博士の島』を下敷きにしたSF短編。事故などで身障者となったアスリート達の体を改造し、サイボーグ化された人間達の未来の姿を描く。北京でのパラリンピックの興隆を予見し、その行き着く先を想像させるような、ある意味怖いお話。
『第九の日』:ロボットによる完全介護で暮らせるようになった、老人たちの平和なイギリスの町。自立訓練のために一人旅をしていたケンイチは、その町に人間が一人もいなくなったことに気がつく。同時期に世界では、ロボット科学者へのテロが始まった・・・。宗教と人との関わり、客観性とは、心とは、高度に発達したAIが語る「心」のあり方とは?
『決闘』:改造された鳥を用いるバードストライクによる航空機テロの続発。テロにより体を失った、ケンイチの設計者であるロボット工学者は、ケンイチの献身的努力により、「心」を取り戻せるのか・・・。先日アメリカで起きた航空機事故の、「ダブルバードストライク」をも想起させる、シリーズ中唯一主人公が異なる、異質だが感動的な小品。
SFファンなら必読の書である『デカルトの密室」は、「心は肉体という密室に閉じこめられている」という発想で語られていた。この小説の内部は、幾重にも折り重なる密室構造で構成され、読者は哲学の迷宮に迷い込んでしまうのだ。『第九の日』では、肉体と精神、機械と心の境界性を、見事に溶解させてしまう力がある。いったいロボットに「心」は宿るのか?「心」をプログラミングすることは可能なのか?
人間にとって最大の謎である「心」。哲学者は哲学を用いて、宗教者は神を語ることで、作家は想像力を駆使して、太古から「心」を追求してきた。しかし科学者の科学的アプローチでは、今までまったく歯が立たなかったのは事実。科学者でありながら作家でもある瀬名は、この難問に対して、最新情報科学と想像力とを武器に、果敢にも挑んでいるのだ。そしてその素晴らしい成果が、この『第九の日』なのである。ぜひ瀬名には、このケンイチくんの物語を、機械と精神の旅を、今後も語ってもらいたいと、我輩は切に願うのであった。