大ベストセラーで映画まで作られた『バッテリー』シリーズ全6巻の後日談を、3つの物語で綴った短編集。最終巻のラストシーンは、天才ピッチャーである中1の巧と、中3の強打者門脇が対決する場面で終わった。この雌雄を決着させない場面で終わるのも、ま~ある意味アリなのだが、欲求不満が残るのも確か。恐らく「試合の決着はどうなった!」「最後までまで読みたい」というわがままな読者の抗議にあらがえなかったのだろう。あさのは、試合の経過そのものは語らず、試合後の選手たちの行方を描いた。彼らの、(オーバーな言い方をすれば)人生をも駆けた戦いを直接表現はしなかった。戦いにより彼らの運命が変わったことを示し、戦いの運命性を浮き彫りにしている。
第Ⅵ巻からかなり時が経ったので、実はかなり忘れてしまっていた。こういうシリーズものは、やはり余韻が残るうちに読むものなのだ。それにしても、ま~なんというか相変わらず剣豪小説なのだ。一球投げるたび、武蔵と小次郎の対決を彷彿させる、実に気合いの入った真剣勝負となる。ここまで思い入れたっぷりに、密に書き込まれると、読む方が疲れるほどだ。いったいぜんたい、野球に対してここまで深刻に思い悩む小中学生がいるのだろうか・・・。
BLとか言われてしまう「あさのあつこ」だが、一途に真剣に生きる少年達がやはり大好きなのだろう。その点を否定するつもりはないのだが、あまりに型をはめすぎているようにも思える。自身この小説の中で、そのような台詞を高校生の瑞垣に語らせているのに、自らその枠から身動きがとれなくなっている。瑞垣の妹の香夏の姿は、まるで小説『バッテリー』に囚われている「あさのあつこ」のようにも見えてしまった。
大ベストセラーを書いてしまった作家は、その作品の呪縛に囚われるてしまう。作家の手から一度離れてしまった作品は、作家だけのものではない。無数の愛読者のものでもあるのだ。その膨大な読者達の想いが、重石になり枷となり、作家を縛る。名作『バッテリー』は、それだけあさのにとって重荷だったのだろう。
同じあさのの『THE MANZAI』もそうだが、シリーズものはキャラが固定なので容易にマンネリ化する。この『ラスト・イニング』では、天才ピッチャー原田巧がいる新田東ではなく、ライバル校・横手二中の瑞垣に視点を変えることで、新鮮さを出しその愚を避けている。
また、勝負や戦いの話は、「力のインフレーション作用」により、必然的に敵役の力量の強大化に繋がる。つまり主人公が乗り越えるべき敵は、常に強くなければならないし、その敵に勝ったら、次の敵はさらに強い必要がある。ジャンプ系のマンガによくあるパターンで、『ドラゴンボール』がその典型。ま~マンガを引き合いに出さなくてもいいのだが、あさのは、次の試合を用意するのではなく、試合を回想することにより、このパターンを巧みに避けている。さすがベテランは上手い。
『バッテリー』を愛読してきた読者には待望の小説であり、その大半は満足できたはず。説教臭いところもあるが、よくできた小説である。