児童文学の世界では著名な森絵都が、初めて大人の世界を描いた長編小説なのだ。2006年には「風に舞い上がるビニールシート」で直木賞も受賞しているが、本作品はそれ以前2005年の作品。
極端に厳格な父の元から逃げ出し、フリーターとなった兄妹。その父も突然の事故で亡くなり、四十九日法要近くになったある日、生前に父と関係があったという女性が出現する。驚愕した子供達は父の足跡を辿り、佐渡島に渡るがのだが・・・。
ありふれた日常生活を、細々と綴っただけなのだが、なぜかそれだけで読ませてしまう力量の持ち主なのだ、森絵都という作家は。ミステリーやアクションなどはもちろん無く、どこにでもいそうな普通の人々が、ささいな出来事で、平凡な日常にさざ波が起き翻弄されてしまう。そんなお話なのだ。小説の大半はそんなもんだが、普段ミステリーを読む機会が多いので、「波瀾万丈でない」話を読むと、それはそれで新鮮なのだ。しかし、主人公に感情移入できなかったり、あまりに平凡な話では、退屈で投げ出したくもなる。やはり小説であるからには、まず面白くなければ読まれないし、人生そのものに対する深い洞察力がなければ価値がない。
この「いつかパラソルの下で」は、その点充分読む価値がある。登場人物の造形が巧く、一見型にはまったパターンかと思いきや、まったく異なる心情を吐露する。幼少時代のトラウマを理由に、大人になった登場人物の行動を説明するパターンが、現代小説では一般的だ。しかしこの小説では、登場人物自身がその理由付けから逃れようとするのだ。
フロイト以来、様々な人々が複雑怪奇な心の動きを、深層心理学をより所に何とか説明しようとしてきた。小説家もその考え方を取り入れ、登場人物の行動原理として描いてきた。しかし森絵都はさらにそこからも脱却し、トラウマに逃げ込もうとしがちな現代人を、叱咤しているのだ。
「心理」というものは面白いもので、「知識」という枠組みで捕らえようとすると、「心理」はその影響を受けてさらに変成する。あたかも逃げ水のように、「心」は永遠に捕らえることができないのかもしれない。そんな複雑な心を抱え込んだ現代人は、単純に「素直」になれず、否、素直とはどういうことかも分からなくなり、自問を繰り返す。一見お気楽なフリーターも、頭でっかちで自意識ばかり肥大化した若者として、森絵都は描いている。