著名な日本人論をバッタバッタと切って捨てる過激な新書だ。
日本人論などの大半は、トンデモ本ばかりであり、名著などではまったくない。「菊と刀」から始まり、星の数ほどある日本論、日本人論を遡上にあげ、莫大な文献を引用しながらその欠点を暴く。
古今東西のあまりに多種多様な評論、小説、文献を引き合いに出しているので、とてもではないが、この反証そのものが正しいかどうかは、我輩には分からない。
よ~するに、日本人論と言われるものが学者が出す論文であるならば、単なる思いつきのキーワードで日本全体を括ったような本を書くな、といっているのだ。そんなものは単なるエッセーで、比較文化論ならデータを揃えてキチンと論証しろ、と言うわけなのだ。
ま~確かにおっしゃる通り。その通り。間違ってはいません。
元々、社会学という代物は、怪しげな学問だと我が輩も感じていた。そう言えば、パオロ・マッツァリーノの「反社会学講座」という痛快な本があったが、そこでも社会学がいかにいいかげんな学問であることを痛烈に皮肉っていたな~。
ベストセラーになるような日本人論の大半は、日本人のことしか知らないのに、XXは外国文化にはない日本人の特性だ、と述べている。確かにこのような本では、「日本人の大半は、云々」とかいつも言っているが、大半とは何パーセントだ!調査データを示せ!とか言われても実際には調査データなどは無いのだろう。例え調査を実施しても、せいぜい数百人程度だろうし、日本人全体から比べたら有意の数字にはなり得ない。日本全体の傾向を検証するには数万人以上の調査が必要だろうし、人文系学科の予算がそんなにあるはずもない。なので、いわゆる社会学はあっても社会科学はないのだろう。
この著者「小谷野」の舌鋒は鋭く、大学者へーゲルだろうがカントだろうが、その御用学者たちに対しても、ロジックがない、偏っている、と批判を浴びせかけてている。論文に誤った箇所を見つけると、即座に電話連絡や手紙で指摘し、修正を迫るようだ。大半は反論もせずに無視しているようだが、そうすると自らの著作物で徹底的に批判するそうだ。
ま~日本の学会ではかなりの変人・異端児なのだろう。周りからは、かなり煙たがられているのが目に見えるようだ。しかしアカデミズムに安住しきっている日本の学者の性根を叩き直すには、良い方法なのだろうな。
そもそも人文系の学問は、自然科学と大きく異なり、立証が困難というか、立証する必然性が薄く、かつ実学ではないので知的好奇心さえ満足すればよい、という考えではないのだろうか。特に社会学などは、文化という曖昧模糊なしろものを対象としているので、ある傾向を見つけても、例外などはいくらでもあるのだ。したがって反証は簡単だ。「昔の日本には恋愛という概念が無く、明治時代以降に欧米から恋愛という言葉と共に輸入された新しい概念だ」という説が、広く流布しているそうな。それに対し著者は、山のような古典を引き合いに、その説を罵倒する。
なんだか、人文系学者たちの成果物というか、仕事というか、何やってるんだろうね、という感じがする。我が輩は理系なので、ロジカルでない著作物は受け付けない。もちろん趣味の分野の文学や芸術なら、論理より美意識優先なのだが・・・。新書レベルの「論文」だと、何の裏付けもない思いつきのレベルから、キチンとデータを示した完成度の高いものまで幅広くあるのは事実。しかし我が輩としては、例え思いつきでも面白ければ良いという基準で選んでいるのも確かなのだ。
ま~趣味で読む本なら、ロジカルでないトンデモ本でも、一般人なら面白ければ買うだろう。しかし良心のある学者だと、根拠もロクにない流言のような説を唱える本が出版されると、腹がたつのも理解できる。
この新書は、とんでもない労作で指摘も正しいのだろうが、読む人によっては極端に評価が分かれるはずだ。いったいこの本は、名著を「重箱隅攻撃」で、徹底的にけなしているだけの怪作なのだろうか、それとも社会学の曖昧さにカツを入れる、警世の書なのだろうか・・・。