日本推理作家協会賞を、2007年に受賞した桜庭一樹の作品なのだ。ミステリーではない。「私の男」で直木賞を受賞した前年、ライトノベル作家が見事に脱皮できた、記念すべき女三代記である。
千里眼の祖母・万葉、漫画家の母・毛毬、ごく平凡な私・瞳子。鳥取の山間で製鉄業を経営する旧家「赤朽葉家」一族、女三代の年代記なのだ。
「辺境の人」に置き去られた幼女・万葉は、やがてその地を治める旧家・赤朽葉家に嫁入りする。千里眼奥様となった万葉は、その能力で赤朽葉家を守り、長女・毛毬を育てる。猛女の毛毬は、暴走族を率いるリーダーとなったが、やがて引退し意外にも売れっ子漫画家となった。その娘・瞳子は凡庸なニートだったが、伝説の祖母、有名な母にまつわる謎を調べ始めたのだった・・・。
読む前は、あの「私の男」を書いた桜庭一樹の女三代記ということで、暗く重い物語かと思っていたのだが、良い意味で裏切ってくれた。実に軽く、さくさくと読めてしまうお話なのだ。
万葉のお話は、神話の時代ということで、端正で古典的な作風。毛毬になると、いつものラノベ作家らしい、暴走族が暴れ回るマンガチックな展開。瞳子の時代は、いかにも現代風の青春ミステリー、と変化する。しかし、時代を超えて山頂に鎮座する真っ赤な大屋敷だけは変わらず、そこで暮らした赤朽葉家三代の興隆と衰退を、それぞれ異なるタッチで描いているのが面白い。
時代も明治から昭和を経て現代まで至り、各時代の雰囲気を実によく伝えてくれる。因習に捕らわれる明治時代、何事も熱く、突っ走る激動の昭和、潮が引くように衰退していく平成。そこに登場する女や男たちも、その時代を体現して極端にデフォルメされた造形となっている。
控えめだが異能を持ち神秘性を纏う万葉、猛々しく怒りの世代を体現する毛毬、平凡を好み争わず、いつまでも自分を捜している瞳子。男は明治・昭和とも家庭を省みないで働いてばかりだが、平成の若者になると優しいだけの草食系になるのも、皮肉で実に面白い。桜庭一樹は、時代を典型的にとらえることが上手い。昭和以降は、露骨なほど型通りのキャラなのは、ラノベ的手法なのだろうな。桜庭のラノベ作品「ゴシック」のキャラ設定にとても近い。
ま~文庫本の最後に、桜庭一樹の後書きが載っているのだが、これがネタばらしになっており、これでは蛇足だ。物語を読む前にこの後書きを読むのは論外だし、読後でもせっかく物語の余韻に浸りたい気分を、台無しにしてしまっている。ラノベ作家としてのファンサービスなのだろうが、ラノベとは読者層が違うのだ。ラノベ読者は物語そのものを楽しむだけだが、フツーの小説を読む読者層には、物語を深読みし、その意味やテーマを探しだす文学系読者も大勢いるのだ。熱心な読者は、物語の背景に隠れたテーマや作者の意図を勝手に読みとり、例え作家がそんなことを意識していなくとも、作品の価値を押し上げてくれる。逆に言うと、様々な観点から様々な意味を読みとれるような、玉虫色の小説が文学作品と呼ばれるのかもしれない。だから芥川賞受賞作品には、比喩暗喩を多用した曖昧で意味不明な作品が選ばれる、のかな?
ま~どっちにしろ、個性的キャラと単純明快なストーリーが信条の、ラノベ作品には無縁の世界だ。ラノベ出身の桜庭は、この小説をラノベの手法で創作しているようだが、小説に意味を求める読者層を取り込みたいなら、ネタばらしは止めた方が無難だ。
芝居を観て幕が下りた後、出演者全員が台上でニコニコと頭を下げることで、芝居の世界観に浸っていたせっかくの感動を、吹き飛ばしてしまうのと同じなのだ。
もちろん人によっては、まったく逆の感想の人もいるとは思うが、少なくとも我が輩はそう感じた。
なんだか、物語そのものの感想ではなくなってしまったが、「赤朽葉家の伝説」自体は面白い。他の桜庭一樹の小説に比べても読み易く、ラノベ嫌いでも、「私の男」についていけない読者にも、楽しめる作品なのであった。