これはもう、傑作としか言いようがない。文句無しのSFの傑作なのだ。これほどのSFを、しかも日本のSFを読めることは、久しくなかったのだ。日本SF大賞、ベストSF2009第1位、星雲賞日本長編部門受賞。国内のSFを対象にした、ありとあらゆる賞を総なめにした作品なのである。
「大災禍」と呼ばれる世界的混乱を経た後の21世紀の後半、人類は医療分子モニターを発達させ、病気を完全に克服していた。先進国では事故か老衰でない限り死ぬことはなくなり、人類史上初めて「ユートピア」が築かれたと思われていた。しかしそんな社会に嫌気をさした少女3人は、餓死しようと試みたが・・・。
これもSFの傑作である「虐殺器官」の著者が、病床で書いた最後の作品である。
意識とは何か?意識はなぜ必要なのか?社会にとって個人はどうあるべきか?
こんな根元的な疑問に対して、作者は素晴らしい着眼点で一つの回答を用意している。これは凄いことだ。いったいこのアイデアが、作者だけのものかどうかは知らないのだが、実に説得力のある考え方だ。脱帽した。
やはりSF作家である瀬名秀明も、傑作「デカルトの密室」、「第九の日」で、ロボット工学やAIを武器に、この深遠なる問いに対して、見事なアプローチを試みていた。伊藤の世界では、人体は社会共有の「リソース」として扱われ、プライバシーがほとんど無い世界として描かれる。テクノロジーの極度の発達により、個人と社会の境界は融合し、社会的モラルが最優先される世界。ここはユートピアなのか、ディストピアなのか・・・。
人間の持っている感情や思考などは、生物の進化上の産物でしかないと認識し、その先に何があるのか、と冷静に見据える作者。その徹底した付き詰めが、このSFの傑作を生み出している原動力なのだ。
脳科学、哲学、心理学。あらゆる学問、科学が解明しようとしてきた「心とは何か」の問い。生命進化の頂点に立つ人類社会において、個人の個々の価値判断が、完璧に一致できたのなら、個人の意識は不要なのではないのか。そんな恐ろしいアイデア。そんな素晴らしい考え。
伊藤の構築する世界は、緻密に計算されている。現代社会の延長線上に出現しても、少しも不思議でない世界。医療システムが高度に発達し、人の生活の中において、生き物として生きるのに必要な行為の大半を「外注化」してしまった世界。そんな世界において、個人の生き方の幅は狭められ、体型までも標準化されている世界。個人と社会は、どう折り合いをつけるべきか?それとも、完璧なる社会を築くためには、個人の意識などは不要なのか?
そんな哲学的問いを、あらためて考えてしまう、とんでもない小説なのだ。普段SFを読んだことがない人にも、ぜひ読んでいただきたい素晴らしい小説なのである。