キャリー・マリスは、LSDをやるサーファーで大の女好きで有名だった。あらゆる職場で女性問題を起こし、4度の結婚で3人の子供がいたほどだ。そのマリスが生化学者になったのは、星占いにしたがったためだったという。
1983年5月の夜、恋人のジェニファーを助手席に乗せて、マリスはカリフォルニアの森林地帯を銀色のシビックで軽快に飛ばしていた。運転しながらマリスの頭には、DNAの鎖がくるくるとねじれるイメージで浮かんでいた。どうすれば30億文字もあるゲノムDNAの中から、特定の配列だけ検索して合成できるかを考えていたのだ。すると突然、アイデアがひらめいた。驚いたマリスは車を路肩に止めて、メモをする。それがPCR法だったのだ。恋人のジェニファーは、相変わらず助手席で眠りこけていた。
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を検出する装置として、一躍有名になったのがPCR検査装置。この装置の登場は意外に古く、1988年には市販されている。この原理であるPCR法は、アメリカのキャリー・マリス博士が考案した画期的手法で、世界の分子生物学を大きく進展させたのだ。 研究者が、あるDNAの断片を生化学的に解析しようとすると、対象となるDNAを数百万倍から数億倍まで複製する必要がある。それまでは特別な大腸菌を使い、手間と時間をかけて大腸菌の内部でDNAを増やすしかまかった。ところがマリス博士が発明したPCR法を用いると、短時間で試験管の中のDNAを、無限に増やせる革命的方法だったのだ。この業績でマリスは1993年にノーベル化学賞を受賞して一躍有名になった。マスコミは「史上最も身持ちの悪い化学者」と呼んでいる。