ディナータイム
キーンコーンカ ー ンコ ー ンとチャイムが鳴る。会議室はブラインドで外が見えなかったが、いつのまにか17時半だった。いつも時間に正確な日登美さんが部屋に入ってくる。
天馬「ちょうど時間になったな。本日の講義はここまでにしよう」
日登美さん「天馬先生、お疲れ様でした。みなさんもご苦労様でした。今日の講座はこれで終了です。明日は9時開始となりますので、遅れないようにしてください」
愛さん「せんせ、今日は泊まりですよね。せっかくなので、みんなで食事でもどうでしょうか?」
天馬「おや、ありがたいね。この街は初めてなので、どこで夕飯を食べていいかも分からなかったし、一人でボソボソ食べても美味くないしな」
日登美さん「あらいいですね。私も行きたいところですが、まだ仕事があるのでここで失礼します。みなさん飲み過ぎて明日は遅刻しないでくださいよ」
愛さん「ハーイ。よかった、伴さんは大丈夫ですよね」
伴くん「家にはお昼休みに、先生と飲み会になるかもって伝えてあるから大丈夫だよ」
天馬「なんだ、お昼から決めてたんだ」
猿田くん「愛ちゃんが張り切って、昼休みから根回ししてますからね。ただ、ボクはちょっとだけ遅れます。どうしても今日中にやらなきゃならない作業が入ってしまったので。愛ちゃん、先にやってて」
愛さん「あら宴会大好き男子の猿ちゃんが遅れてくるとは、珍しいわね。じゃ、しかたないから先に遠慮なくガンガン飲んでるわ。せんせ、行きましょ」
天馬は大学に残してあるマリリンや飛雄が気がかりだったが、今日のルーチンはホテルに戻ってからやることにした。
バタバタと後片付けをした天馬は、愛さん、伴くんと一緒に会社を出て、薄暗くなってきた道を駅方面にぶらぶらと歩く。愛さんが先導してしばらく歩き、ネオンがチカチカと手招きする、小綺麗な居酒屋に入った。天馬が泊まるビジネスホテルにも近く、いかにも女性が選びそうなお洒落な店だ。まだ早い時間のためか客はまばらだったが、薄暗い店内を案内されて、かまくら型の個室に入る。
愛さん「未だに禁煙の飲み屋が少ないけど、ここなら煙も入らないし、大丈夫。せんせ、生ビールでいいですか?」
天馬「まあ、とりあえずビールというやつだな」
愛さん「じゃあ生ビール3つお願いします」
愛さんは仕切り屋のようで、伴くんの意見も聞かずに、どんどんツマミを注文をしていく。
愛さん「せんせ、さっきの講義のなかで人工知能なんか存在しない、とおっしゃっていましたが、どうしてですか?」
天馬「お、仕事熱心だね。では聞くが知能とは何だと思うかね?」
愛さん「えーと、知識がたくさんあってそれを使って考えられることかな」
伴くん「いや知識よりも、まず課題とか問題があったら、それを解けることじゃないでしょうか」
天馬「まあ、実は正解というか知能の定義には諸説があって、決まっていないんだ。つまり知能の定義がないのに、それを人工的に創れるわけがないだろう」
愛さん「なにそれ、そんなインチキな話」
伴くん「いやいや愛ちゃん、明確な定義がなされてないと、たとえ人工知能ができましたと言われても、それが本物かどうかを検証できないだろう。そうですよね、天馬先生」
天馬「その通りだ。昔から知能とは何か、という哲学的問題には多くの議論があった。そこに講義の最初の頃紹介した、アラン・チューリングが一石を投じたんだ。それが『チューリングテスト』だ。これは相手が誰か分からないようにして、チャットのようにテキストで会話し、相手が人間か機械か区別ができなかったら、相手に知能があると判断しよう、というものだ」
愛さん「だったら、今あるAppleのSiriなんかはチューリングテストに合格できそうですね」
伴くん「そう言えば、ヘルプデスクサービスで、チャットボットが回答するものがありましたね。あれだったら合格しそうですよ」
天馬「今あるチャットボットはQAベースだから、想定外の質問には答えられないな。Siriは確かにかなりのレベルまで達しているね。しかし一問一答形式で、質問があったら回答をするが、自ら話すような『会話』ではないな。また想定外の質問があった場合には、人間のオペレーターに繋いでいるという噂もある。都市伝説かもしれないが、もう一息かな」
しばらくガヤガヤと飲んでいると、ようやく猿田がやって来た。
愛さん「猿ちゃん、遅かったじゃない。なにしてたの?」
猿田くん「いやまあ、いろいろと調べものがあってね。それより、なに講義の続きみたいな話をしてんの。愛ちゃん、天馬先生のアイドル、マリリンのことは聞いてくれた?」
愛さん「私はマリリンさんには興味ないもん」
天馬「マリリンは別にアイドルじゃなくて、ただの助手だよ」
猿田くん「おや先生、先生の大学にボクの友人がいるんで聞いてみたのですが、そんな金髪グラマーは見たことがないそうですよ。本当に助手ですか?先生の家にでもいるんじゃないですか?」
天馬「そ、そんなことはない。あの大学のキャンパスは広いからね。それに研究室に閉じこもっていることが多いし」
猿田くん「へーそうですか。まあいいや。で、マリリンって独身?何歳?恋人いるんですか?」
天馬「まあまあ、矢継ぎバヤに聞くもんじゃない。とりあえずビールでも飲んで落ち着きたまえ」
愛さん「そーよ猿ちゃん。なにいきなり、マリリンのことばかり聞いてんのよ。そんなプライベートなこと、先生が教えるわけがないでしょう!」
天馬「そ、その通りだ。申し訳ないが、マリリンの個人情報を部外者に教えるわけにはいかないんだ、猿田くん」
猿田くん「なーんだ、つまんないな。あとで大学の友人に調べてもらおうかな」
天馬「ダメだ、ダメだ。大学関係者の情報は、厳重に管理されているからな」
猿田くん「そうですかぁ?先生の大学のセキュリティは、ザルみたいなもんでしたよ。ちょっと見ただけでも、ルーターのパスワードなんか初期設定のままだったし。とても専門家が管理しているようには見えなかったけどな」
天馬「なに、もう大学のネットワークを調べているのか?」
愛さん「猿ちゃんは、こう見えても情報システム部門で、ハッカー対策の専門家だからね」
猿田くん「いやいや、ボクの友人からの話ですよ。気にしないでください」
伴くん「まあまあ、確かにマリリンさんは非現実的なほどの美人なので、男だったら気になりますよ」
愛さん「あらあら、伴さんまでマリリンさんですか」
天馬「そうだよ。敷島さんみたいなかわいい子を目の前にして、マリリンの話ばかりするのは、どうかね」
愛さん「ありがとう、天馬先生。この人たちには見る目がないのよ」
ワイワイと賑やかに飲みながら、飲み会は夜遅くまで続いた。しかし天馬が途中でホテルにチェックインしていないのに気がつき、アタフタと精算して飲み会は終わることになった。
夜遅く、ビジネスホテルの狭い部屋にたどり着いた天馬は、酔っぱらった頭でノートパソコンを使い、大学のネットワークにログインする。今日の分のログをざっと確認し、深刻なエラーがなかったようなので、そのままベッドにもぐり込み寝てしまった。
翌朝、閉め忘れていたカーテンから、朝日が入り込み、天馬は目が覚めた。天馬は、昨晩の猿田くんの発言で、どこか引っ掛かったことがあったのだが、寝ぼけた頭では、どうしても思い出せない。朝食のバイキングをボソボソ食べていても思い出せなかった。しかたなく、天馬は疑われないように、とりあえず急いで対策をして、ホテルをチェックアウトすることにした。
昨日も歩いた道だったが、快晴の中を今日はラフな格好の社員と思われる人がぞろぞろと歩いている。正門での受付は顔認証されていたため、スムーズに通過する。研究センターの会議室にたどり着くと、すでに人事の日登美さんと猿田くんがいた。講義用のパソコンをセットアップしているようだ。