一般論から具体的事象を推論できる「演繹的推論」から始まったAIは、CNNのようなディープラーニングの成果で、パターン認識まで出来るようになった。これは具体的事象から一般論を推論できる「帰納的推論」が出来たと言えるだろう。つまりCNNは、大量の画像データを投入することにより、自らその画像のパターンを学習して抽象化ができるのだ。これにより未知の画像でも認識(分類)できるのだが、これを私は「帰納的推論」だと言っているのだ。しかし、人間のように仮説を設定して推論する「仮説的推論」までは実現できていない。

ところが、先日「AIが搭載された研究者向けの高機能検索エンジンSemantic Scholar」という記事の中で、「Semantic Scholarが最終的に仮説生成エンジンになる可能性を秘めている」とあった。
この「Semantic Scholar」は、自動で特定分野の数十万本の論文を読み込み、トピックやその影響力、引用回数などの情報を取り出す機能を備えており、ユーザーは簡単に目的である最新の論文や文献を見つけることができる「論文サーチエンジン」だ。しかも自然言語処理機能を有し論文の全文を読みこみ、分析と評価をしているそうだ。このエンジンを開発運用している非営利団体の研究者が、先ほどの「仮説生成エンジンになる可能性」があると発言している。
人間は、もちろんこの「演繹的推論」、「帰納的推論」、「仮説的推論」を日常的に行っている。まともな大人なら、いわゆる「常識」を持っているので、行動の大半は「演繹的推論」だけで生活が可能だろう。様々な事象から得た「体験」なら、「帰納的推論」により個々の「経験値」として蓄えられるはず、無意識だろうが。「もしかしたらXXなのかもしれない」という「仮説的推論」も、別に事業戦略策定とか市場調査みたいな仕事でない普通のビジネスマンでも、やはり日常的に行っているはずだ。
現在、急激に発達しているAI技術においてでも、この「自ら仮説設定ができる」までには至っていない。もっとも、「帰納的推論」により導き出された「答え」も、まあ「仮説」なのかもしれないし、「演繹的推論」の出発点である「一般論」も所詮「仮説」が大半だろう。そう考えると、CNNなんかが行っているパターン認識での「特徴量」とは、「仮説」と言えないことはないか。もっともCNNを利用する場合は、人間が「正解」を最初に教えているから「仮説」ではないのかな・・・。まあ言葉をこねくり回しても意味がないのだが。
科学者は、自然界で生じる複雑な事象を「簡単に説明」するため、仮説を設定し実験し、その仮説を検証する。その仮説の理論通り再現性が証明できれば「一般論」となる。だからもし、AIが仮説設定をできるようになったら、科学的発見までも可能になるのかもしれない。人間は、複雑で膨大にある事象から「帰納的推論」により、一般論を導くより、どちらかというと、手っ取り早く「仮説」を設定して検証するほうを好んできたと思うが、これこそ私の仮説か。
しかし膨大にある複雑な事象の中から特定パターンを抽出するという行為なら、それこそビッグデータ処理をする機械学習が得意とするところだろう。つまり、機械学習で売上予測をする場合、過去の売上データと売上に影響しているであろう、ありとあらゆるデータを投入することで、精度の高い売上予測が可能となる。従来、アナリストが設定していた仮説などは、この場合不要だ。
人間の頭脳は、ある事象を引き起こす要因が膨大にあると考えることが出来なくなるので、「最も影響のある要因」だけを取り出し、他の要因は誤差の範疇として無視し、仮説とするしかない。ということは、AIがもっと汎用的な「帰納的推論」ができる時代に「仮説的推論」を必要としているのは、もしかしたら人間の方なのかもしれない。