最近読んだ、人工知能が専門のコロンビア大学ホッド・リプソン教授が書いた著書「ドライバーレス革命」に、面白い事が書かれてあった。ニューラルネットワークは、1940年代から研究が始まったにもかかわらず、70年以上も成果が無かったのは、研究者間の派閥争いが原因にあるというものだ。
1957年にコーネル大学のローゼンプラット教授が、脳の神経をモデルにしたパーセプトロンを発表し、人工知能ブームを巻き越したのは有名な話。ディープラーニングの専門書には、必ず導入部に書いてあるので、このサイトの読者なら大多数は知っていると思う。その後、異なる学派との論争が続き、1969年にMITの著名なミンスキー教授が、パーセプトロンはXORパターンを認識できないことを証明して、第一次人工知能ブームが消滅したと書いていたはずだ。その後数十年、ニューラルネットワークは冬の時代になってしまい、研究者も少なくなってしまう。
ディープラーニングの専門書は歴史書や読み物ではないため、この辺りはあっさりと書いているが、この「ドライバーレス革命」にはディープラーニングの研究史が詳しく書かれている。それによると人工知能分野では、連邦政府の研究資金提供機関からの資金獲得競争が激しかったそうだ。ミンスキー率いる旧来の人工知能研究学派は、パーセプトロンの登場により研究資金の打ち切りを恐れて、新学派を徹底的につぶしたそうだ。この結果、ニューラルネットワークの研究資金は打ち切られてしまい、ミンスキーの学派がその後の数十年人工知能研究で君臨していたそうだ。こんなことがなければ、人工知能研究はニューラルネットワークの進展と脳の解明と共に、もっと早く進んだかもしれないのだ。
そういえば、天体物理学の世界でも同じような話があった。1983年にノーベル物理学賞を受賞したインドの物理学者チャンドラセカールの受賞理由は、1930年に発見した白色矮星が持ち得る質量の理論的な上限値「チャンドラセカール限界」だ。ノーベル賞を受賞するまでに、発見から50年も経った理由は、天才的才能を持つチャンドラの発見が、当時の「天文物理学のドン」であるエディントンの理論を覆してしまったからだ。このためエディントンは、チャンドラの理論を理不尽な理屈で徹底的につぶしてしまう。人種的偏見も重なり、その功績はチャンドラが晩年になってからやっと認められたのだ。
科学の世界は、学会の中での「力学」で、意外にもその評価が決まる場合があるのだ。研究は人間が行っているので、やはり泥臭いこともあるものですな。