canstockphoto34224818人なら誰でも「偏見」を持っているはずと、それこそ誰でも認識しているだろう。だからこそ理性ある人なら、たった一人の意見を信用することはせずに、複数の知見ある人の意見を聞いてから判断しているはず。ではなぜ、たった一つのWebサイトの評価を、盲目的に信じたり、偏見があるなどと批判するのだろうか。何の話かと言うと、最近話題になった「食べログ騒動」や「フェイスブックの写真削除騒動」の話だ。

もちろん、人でも首相のように強い権力を握っていると、その言動は常に注目され、批評されている。それと同じように、食べログもフェイスブックも社会に対する影響力が大きくなると、権力者と同じように批判されているだけだ、という意見もあるだろう。しかし注意すべきは、人の判断と商業ベースで運営されているWebサイトでの、単なるアルゴリズムの判断を、同一視し過ぎしていないかということだ。

例えば食べログなどは、店舗からの収入で運営しているのだから、点数の基本は商売ベースにあっても不思議ではないだろう。営利企業であり株式会社なら、儲からないような行為は株主から批判されるかもしれない。有料ユーザーなら別だが、無料ユーザーには批判する資格はないと思う。文句があるなら使わなければよいだけだ。それにしても、有料ユーザーへの検索結果と、無料ユーザーへの表示を変えているなら面白いのだが。

現在Webサイトで使用されているアルゴリズムは、大半が単純なものだ。食べログなどは「人の評価」をベースに、その数値に何らかの「操作」や「パラメータ」を加えて表示しているだけだろう。そのパラメータのさじ加減は、運営者次第でどうにでもなるはず。例えフェイスブックでも、基本は同じはず。画像検索やその画像を削除するしない等の判断基準にディープラーニングを用いて自動化しても、例外は必ずある。例外を考慮しない完璧なアルゴリズムがあるなどと考えているとしたら、それは単なる技術者の驕りでしかない。なぜなら「価値判断」に絶対基準など無いからだ。

参考までに、この考え方は「AIにとっての倫理観とは?」をお読みください。