2008年10月31日に、「サトシ・ナカモト」が仮想通貨ビットコイン(BTC)を提案してから、8年の歳月が経った。最初は何の価値もないコンピュータの中の数字でしかなかったBTCは、2016年12月の時点で発行残高1,600万BTC、時価総額1.4兆円にまで膨れ上がっている。
2011年の時点でBTCで買えるものは、「Silk Road」という闇サイトでのコカインやマリファナなどのドラックしかなかった。それが今では、六本木のバーでスマホをかざすだけでBTCで支払いができるのだ。2014年には、当時世界最大のBTC取引所だった渋谷のマウント・ゴックスが破綻し4億ドルを消滅させている。このため大半の日本人にとってBTCとは、太ったオタクのフランス人が、たどたどしい日本語で言い訳しているギャンブルのイメージでしかない。しかし政府までが仮想通貨の法整備を進めた為、BTCの根幹技術である「ブロックチェーン」は、メガバンクが熱狂する「フィンテック」での、最重要技術にまで格上げされている。
リバタリアンであるサトシ・ナカモトが夢見たBTCは、ウォール街が牛耳る世界の金融界を破壊し、ごく一部の権力者だけが握るマネーを大衆に開放することだった。インターネットが世界を変えたように、BTCは金融機関や各国政府の金融支配を覆すものだった。言わばマルクス主義と同じであり、共産主義革命を起こそうとしていたようなものだ。そのため「脱中央集権」が信条であり、その実現手段が「分散型台帳」なのだ。
ところがBTCは、マルクス主義運動と同じ運命をたどっていく。リバタリアン達が熱狂的に支持し、手弁当で運用していたBTCは、一獲千金を狙う少数のマイナー(採掘者)が、莫大な資金と最新テクノロジーを用いて支配を強め、ウォール街も反撃を始めている。
BTCからは、かつてのイデオロギーは抜け落ちていき、脱色されたブロックチェーン技術だけを取り出して、金融界はフィンテックに応用しようとしている。しかしそれでは、せっかくの分散型台帳の技術も、単一障害点がない既存の分散データベース技術との差が見えなくなってしまうだろう。
かつて格差の存在しない平等な「共産主義国家」を夢見た中国は、今や共産党が独裁して強権を振るう世界でも有数の格差社会となってしまった。自由を求めて民衆が立ち上がった「アラブの春」は挫折し、経済格差の解消を訴えた「反ウォール街デモ」も雲散霧消してしまった。「自由と平等を希求する人民と、富と権力を集中させようとする権力者の対立」というステレオタイプの構図は、大昔から存在しており永遠に続くのかもしれない。
インターネット革命は、情報の流通化を促進して権力者による情報の独占を阻んだ。リバタリアンの希望の星BTCが、国家間のマネーの流通に革命を起こし、ウォール街が牛耳る富の独占を、いつになったら阻むことができるのだろうか?